忙しいらしい彼らが長く居れる筈もなく、ルギネスとカサンドラが兵士に呼ばれて退席した後は自然と澪が指南役になり、ゆっくりと時間が過ぎていった。
春の風と暖かな草の匂いのする風。
陽光に僅かに赤く反射する黒髪を靡かせて琴菜は目を閉じてそれを感じる。
あんな血なまぐさいことがあったとは思えない穏やかさだ。

日が落ちる前には春日が辛うじて、琴菜はそれなりに乗りこなせるようになっていた。
馬も人もさすがに疲れ、世界を朱色が染めゆく中で澪と琴菜は風景を眺めながら座っていた。
前とは違う、赤く美しい世界。
春日はまだ興味深々に馬と戯れている。
元気だなぁと澪が僅かに苦笑する。
「しかし、拉致されてきた異世界で呑気に乗馬体験とはなぁ」
呆れた声で琴菜がため息をつく。
「ちょっと考えられないな」
夕日を見据えながら澪も頷いた。
「澪は私達の世界でも乗馬してたんだろう?ここの馬との違いってやっぱりあるのか?」
「うーん、こちらの馬の方が少し小柄で逞しいと思うが……際立った違いはないな」
オレンジ色の光を受けしなやかに走る馬は、確かに琴菜の目からも自分達の世界の馬と変わらないように見えた。
「出してもらった料理も普通というか、あっちと似たような野菜もあったしな。完全に一緒ではないんだけれど……この世界って、なんなんだろうな」
「俺も考えてはいるが……よくわからない」
今まで生きていた世界ととてもよく似た、違う世界。
物思いに沈みかけた二人の後ろから人の気配がし、人影を認めた春日が嬉しそうに手を振って駆け出した。
振り返ると兎耳の少女が夕日を受けて穏やかに微笑んでいる。
「エレンちゃんだー!どうしたの?ご飯?」
尻尾があったなら確実にぱたぱたふってるであろう表情と軽やかな動作で春日がエレンの手を握る。
『エレン=ご飯くれる人』の公式がすでに出来上がっているのか物凄い懐き様だ。
「ええ、みなさんお疲れ様です」
わーい、とさらにテンションをあげる春日をなだめながら草を払って自分の方へとやってくる澪と琴菜にエレンが軽く会釈する。
「すまないな、何からなにまでしてもらって……もしよければ次からは手伝う」
琴菜がすまなそうに言う。
「お客様のお手を煩わせるわけにも……でも澪さんもお料理お上手でしたし頼もしいですね、次からは少しお願いします」
エレンが申し訳なさそうに微笑む。
「わたしもー!」
春日がはいはいと元気に手をあげた。
「……あくまで個人的な予想だが……ぱりーん、がしゃーん」
ぼそっと琴菜が呟く。
「……否定はしない」
澪もやれやれとため息をついた。よくわからずにこにこしている春日。
それを見てエレンが楽しそうに笑う。
「ええ、春日さんもお願いしますね」
にこやかに答えたエレンに、琴菜が苦笑いしながら言う。
「チャレンジャーだな」
「そうですか?大丈夫ですよ……多分」
小首を傾げて微笑んだままエレンは平然と返した。
「そう言えば」
ふと思い出したように琴菜が澪に視線を向けた。
エレンと春日は彼女らの数メートル先を楽しそうに歩いている。
「ここに来てもう3日経ってる。家の人とか、心配しないか?」
並んで歩いていた澪は一瞬僅かに表情を強張らせたがすぐにいつもの無表情に戻る。
「……そういうお前はどうなんだ?」
二人の間にしばしの沈黙が訪れる。気まずい沈黙に割り込むように二人を振り返った春日が駆け寄ってきた。
「どーしたの?ご飯冷めちゃうよ?」
「「……何でもない」」
それだけ言うと後ろ向きに歩いていた春日を追い越すように二人は、少し先で三人を待っているエレンに追いついた。
その日の夕食は厩番のアントニウスも交えて賑やかなものになった。
そんな中、ルギネスだけがいつにも増して口数が少ない。ともすれば不機嫌に見えるほどだ。
「……何かあったのか?」
声を潜めて琴菜は隣の席で顔色も変えず酒をあおっているカサンドラに尋ねる。
「ぅ〜ん……ちょっとなぁ〜……」
珍しく歯切れの悪い言い方に琴菜を挟んで座っていた澪がさらに尋ねる。
「俺達の事で何かあったのか?」
「ん〜……あんまり言いたくないんだよなぁめんどくて」
詳しくはルーかエレンに聞けば?とだけ言ってカサンドラは目の前に並んだ大量の料理を春日とそろって平らげ始めた。
疑問符を浮かべた琴菜と澪を尻目に宴は深夜にまで及んだ。


「……三日後に、出発する」
翌朝、寝起きの悪いルギネスが朝食の席で、何時にも増して掠れて聞き取りにくい声で宣言した。
「え〜っと、『ベルギリウス』……だっけ?」
「石精霊さんを探しに行くんだよねっ」
朝から元気な春日とは対照的に、昨夜同様不機嫌な雰囲気を漂わせながらルギネスは続ける。
「あぁ。三人は特に自分の準備もあるだろうし、オレ達も片付けておかないといけない事項もある。コトナとカスガは準備の合間に乗馬を練習できるように頼んである」
「長時間の移動になるんだったら必要だろうな」
澪が静かに付け加えた。
それでは早々に準備を始めませんと、と言うエレンの一言でそれぞれ席を立った。
「なんか、ルギネスもカースも機嫌悪くなかったか?」
琴菜が服の準備をするというエレンに尋ねる。
「昨夜もルギネスは機嫌が悪いように見えたが?」
同じように澪が言う。
「……少し、もめ事が『テーヴェレ』内にありまして……」
昨夜のカサンドラ同様に歯切れ悪くエレンは答える。
「もめ事?ケンカしてるの?」
同じくらいの身長の春日が少し俯いたエレンの顔を首を傾げるようにして覗き込む。
「……『テーヴェレ』設立当時からですから、もう二年くらいになります。幹部級の方達の間で意見の対立や諍いが多くて……そのせいか一般の兵の間でもそれぞれの派閥にあわせて小競り合いが良くあるんです」
「ふぅん……ルギネスやカースが幹部ってことはだいぶ若い者が中心なんだと思ってたんだがその間で?」
「いえ……年代の差、と言うのがもめ事の原因かも知れません」
「って、それなりに年配のヤツもいるのか?」
「『一国で革命を起こす』と言う信念の本、集まったはずの同志なのですが……」
「ケンカしちゃってるんだね」
困ったような顔のまま、エレンは先を歩き始める。
「『石精霊』を探す事にも賛成しているは半数ほどです。邪神『ジュデッカ』の解放すら否定している方もいらっしゃいます。それでも、ルギネス様は何とか犠牲を最小限にしたいから、と自ら行動されて……実際にジルコンさんがこちらにいらっしゃらなければ誰も信じなかったでしょう」
邪神伝説はこの国の、否、世界の人々の中に浸透しきっている。だからこそ邪神が解放されたことを否定したがったのだとエレンは続ける。
「そんな……」
「……嘘であって欲しい、と言う思いが現実から逃避させてるのか」
絶句する琴菜と澪を尻目に、春日はエレンが旅支度にと取り出し始めた色とりどりの衣装に見入っている。
「現国王が邪神を解放させなければ、こんな事にはならなかったはずなんです」
珍しく、エレンが厳しい口調で言い放つ。
その激しさに三人は息を呑んだ。




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