Actuality Escape
まだ固い花の蕾に、肌寒い春の嵐が吹き荒れる。京都の春は風が運ぶ。
曖昧になった境界が、強い風で玩ばれているように散らばる。 路面から吹き上がる風が、濃紺の髪をかき上げた。 わずかに色素が薄い瞳を細身のサングラスで隠し、細身の身体を膝下までのスプリングコートで包む。 不調を訴える身体を無視して、格子の街並みを南へ下る。 高校進学を期に家を離れることを決めた。 そばにある大切なものは、少ない方が良い。 いつもなら気付かない小路に気付いたのは、一瞬、強い風が穏やかになったから。 強大な力を感じる。近寄るなと経験が告げる。もう、傷つきたくないだろう、と。 力の中心まで、あと三歩。引き寄せられるように歩みを進める。 向こうから来る長い黒髪の少女に気付いた瞬間、少女と自分が大きな力を含んだ風に飲み込まれ、意識すら遠のいていくのを感じた。 一瞬のつむじ風が通り過ぎた後、京都のとある小路から少女達の姿が消え、時は変わらず進み続けていた。
「世界を越えて、君を呼ぶ声」 生温い風が肌を撫で、草と土の匂いが鼻を掠める。
右手に当たる柔らかい感触に目を開けた。木漏れ日の眩しさに目を細めながら起き上がる。右手に当たっていたのは妹のものによく似た茶色の長めのくせっ毛だった。 穏やかな茶色の髪の少女の寝息になぜか安堵して、少女の身体越しに長い黒髪の少女を見つけた。 気怠くて、なんとなしに眺めていると黒髪の少女が目を開けた。 色眼鏡を通していない目は、少女の瞳の色に気付いた。片目ずつ色が異なっているのだ。 右目は緑。左目は茶色。 既視感。いつも首に下げている二つに割れたのであろう水晶球が動きにあわせてチリン、と鳴った。 「大丈夫か?」 目の焦点がなかなか定まらないので声をかける。 「あ…あぁ……確かさっきすれ違いかけたよな?ここでは無いところで」 言われて周囲を見渡すと、そこは明らかに今までいた街ではなく、鬱蒼とした森の中で一カ所だけ拓けた場所。 耳が痛くなるほどの静寂と穏やかな日の光だけがあった。 「とりあえず」 先に立ち上がった黒髪の少女が手を差しのべる。 「私は龍ノ城 琴菜。あんたは?」 「……綾城 澪。オレとすれ違う時、妙な感じはしなかったか?」 「した……気はするな……」 ふぅん、と相づちを打ちながら澪は、すぐ横で眠っていた少女を起こそうとする。 「んぅ〜……」 寝ぼけた声と共に糖蜜色の大きな瞳が開いた。 「……あれぇ?ここどこ?」 間の抜けた声に二人共一気に脱力した。 「……わかれば、それにこしたことはない。」
さめた口調で澪は返答した。 「お前……名前は?」 「春日!私、空原春日っていうの」 「……ちゃんと姓と名がハッキリしてるし、なんか思いっきり日本人ですって名前だな」 と少し安心したような感じで琴菜がそうつぶやいた。 「で、春日?何処から来たんだ?オレたちと同じ場所からではないだろ?」 「え……?東京っ」 澪がさりげなく少女に聞くと、少女は思い切り微笑んで、答えた。 「東京って……なんでンなとこから……」 「え、ここ東京じゃないの?」 「「……」」 呆れたように二人がため息をつく。 「明らかに違うだろ……」 澪が呆れたように言い放つと、琴菜も同意するように頷きながら呟いた。 「それにしてもココはどこなんだろう?」 「日本ではない気がする。どこか別の……」 まるで風が通り抜けたような声で澪が言った。 周りを見渡してみても、先ほどからの景色に変わりはなかった。唯一変わったものといえばそう……太陽の光が差す位置が少し変わったくらいだった。 それ以外はまったく何の代わりもなく、時間だけが経っていった。 木漏れ日と新緑が目に痛いほど。現実離れした、どこまでも穏やかな空間。 すうっと風が吹き始めたとき。 「あの時感じた気配と何か関係があるのだろうな…多分…」 ぽつりと澪が呟く。 「あの気配を感じたとき、オレは……オレのカンが近づくなといっていた」 「私も私のカンが同じコトを言った。でも私は不思議と無意識のうちに進んでいた」 琴菜が応えるように言う。 「で気が付いたらココにいたって訳だな。オレと同じで」 納得したように頷いた澪が、春日の方へ振り向いた。 「お前は何か感じなかったのか?」 「何の話?」 春日がきょとんと首を傾げる。 「解ってなさそうだな……」 期待していなかったけど、と肩をすくめる琴菜に、春日が気にせず話かけた。 「ねぇ、それよりココから移動しないの?お散歩したい〜」 「そうだな……ここにずっといても仕方ないな……でも、どこに行けば……」 独り言のように琴菜が呟く。すると、春日が突然、笑顔である方向を指差した。 「ねぇ、あっちに行こうよ!なにかありそう」 「そっちに……何があるんだ?」 琴菜が訝しげに春日に尋ねる。 「わかんないけど、何となく楽しそうー」 あっけらかんと春日が答えた。 「行ってみても良いんじゃないか?人に会えれば良いんだろ」 澪の一言で一行は、見ず知らずの場所で見ず知らずの道へと進んでいった。 |